日本語版 v1.3.3 · fc-reading

#戦争が日常になったとき

目次

War became daily life, spear rack beside farming tools, low palisade line, distant smoke as two black curls, no battle scene.

この時代の子は、戦争を知らぬ大人を見たことがない。


#戦争はいかにそこにあったか

戦争が出来事ではなく季節のようにある。

春に種を蒔き、夏に草を取り、秋に刈り入れをし、冬には隣の大名が攻め込んでくる――あるいは我らの大名が隣を討つ。これが一年のリズムのように思われていた。ただし実際の戦の時期は地域の作柄と兵站、攻城戦か野戦かによって異なった。ある戦は秋の収穫を狙い、ある戦は農閑期に兵力を長く縛りつける形で起こった。

「平和の時期」という言葉がこの時代には奇妙に聞こえる。戦が止んだ数か月を平和の時期と呼ぶにすぎない。数年続く平和はほとんどなかった。人々は平和を「束の間、息をついている時間」と理解していた。


#戦争の三つの規模

#一つ目 ― 大会戦(大會戰)

万の単位の兵が野で激突するもの。 関ヶ原(1600)、長篠(1575)、川中島(1561年第4次)のように名が残る戦。そして――戦国の最後の一端、秀吉の朝鮮侵略(文禄の役 1592・慶長の役 1597)海を渡った大会戦であった。十数万の日本兵が船に乗って朝鮮へ向かい、そのうちかなりの数が帰らなかった。日本の戦国が終わった後も――朝鮮半島の野には、その戦の傷が長く残った。

実のところ大会戦は稀である。一人の戦国大名の生涯に幾度あるかどうか。大会戦は決着をつける戦だ――勝って領土を広げるか、負けて殲滅されるか。

大会戦の光景は巨大で単純だ:

  • 騎馬武者が先頭で突進する。甲冑のぶつかる音。馬蹄の音。
  • 足軽槍衆が森のように立って騎馬を受ける。槍柄の折れる音。
  • 弓衆が後ろから雨を降らす。弓弦の音が千重に重なる。
  • 鉄砲隊があれば、その瞬間すべての音が消える。火薬の匂いが残る。

戦後の光景はさらに単純だ。積み重なった屍。烏。死者の副葬品を漁る民衆。

#二つ目 ― 小競り合い

これがはるかに多かった。数十人から数百人が山道・橋・川辺でぶつかる。隣の領地の境で、貢物を運ぶ道で、間者を捕らえに行った隙に。人取り(ひとどり・人狩り) ――敵の村の人を拉致・人身売買すること――も小競り合いの一つの軸であった。兵士だけでなく民間人もこの戦の「戦利品」となった。

主人公はたいていこうした交戦で戦った。分隊単位、小隊単位。名もなく、報告書もなく、しかし死ぬ者はいる。

小競り合いは日常的だ。一か月に何度もあり得る。ある兵士は「今週は三度戦った」と言う。

#三つ目 ― 攻城

城を囲んで攻めるもの。 長ければ数か月、短くても数日

攻城の主役は戦う者ではなく飢えだ。攻め手は城の周囲を囲んで補給を断つ。城内の者たちが食べ物を失う。井戸が涸れる。病が広まる。

鳥取城渇え殺し(鳥取の渇え殺し・1581) ――秀吉が行った伝説の攻城。3か月の包囲の中で城内では鼠を食らい、皮を煮て食い、やがて屍に手をつけたと伝えられる。小田原攻城(1590) も3か月を要したが、こちらは反対に城内の北条氏の無力な議論で有名――「小田原評定」は今も結論の出ない果てしない会議の代名詞。

攻城が終わる形は三つだ――降伏、落城、和議。降伏は城主が腹を切り(割腹)、家臣たちの命だけは助けてほしいと請うこと。落城は城壁が破られて内の者がすべて死ぬこと。和議は稀であった。


#そして掠奪

戦争の真の日常は掠奪であった。

ある国から別の国へ越える国境では、兵士たちは「畑から何でも引き抜いていく」のが基本であった。鶏、豚、野菜、果ては人――特に若い女は売るために連れ去られた

戦場史(戰場史)が記さないこの部分を、民衆は最もはっきりと覚えている。

「戦が終わったからといって、私たちに平和が来たわけではなかった。戦が終わったというのは、我が村の若者が帰らないという意味だ。帰ってきたとしても手ぶらだ。」 ―― 16世紀美濃地方農民の遺書の一部


#誰が戦ったか

戦国の軍は三つの層に分かれる。

  • 侍――武士。甲冑をまとい、大刀を帯びる。もとは馬に乗った。一つの領地の主に代々忠誠を誓う職業軍人。
  • 足軽(あしがる)――歩兵。農繁期は農民であり、農閑期に徴発されて槍と鉄砲を持つ。全軍の70〜80%。前列で死ぬ数のほとんどがこの者たち。
  • 忍び・乱破(らっぱ)――間者・暗殺者。公式の身分ではない非正規軍。どこにでもいるが、どこにも記録されない。

#侍の戦と足軽の戦

同じ戦場に立っても、侍と足軽が経験する戦は異なる。

侍にとって戦は名誉の舞台であった。敵将を討ち、名を馳せ、主君に記録されること。死んでも「首級が上がった」という記録が残る。その記録が子の禄俸となる。

足軽にとって戦は一度きりの運であった。生き残れば家へ帰り、死ねば何の記録も残らない。名も顔も。故郷では母が何年も待ち続け、やがて空いた座に位牌を立てる。

侍の墓はある。足軽の墓はない。戦国時代の戦死者の99%が名もなく葬られた


#この時代の戦がもう一つ特別なこと

霊界の門が開いた後、戦場は二重化された

戦いの最中の野に怨霊 が歩く。かつて死んだ兵たちの怨念が形を得て、新たに来る兵たちを斬るのだ。敵は二つだ――人間の敵と妖魔の敵

大大名たちは出陣の前に必ず陰陽師 または密教僧 を派遣して戦場を浄化する。「穢れを祓う儀式」が戦の準備の一軸となった。この儀式を怠れば――味方の兵士が己の味方に刀を振るうことが起きる。怨霊に憑かれた兵士の手が、その者の意志ではなく動くのだ。

侍の家の夕の祈祷文に一行が加わった:

「今日斬った者の怨念が我に返ってこないように。」

この一行ゆえに、この時代の侍はただの軍人ではない。


#一つの光景で締めくくる

戦が終わった野の夕暮れ。烏が集まった。傷を負った足軽の一人が足を引きずりながら自分の村の方角へ歩く。槍は捨てた――重い。甲冑も脱いだ。ただ血の染みた麻の衣一枚。

道端に小さな道祖神の石が立っている。彼はその前にしばし立つ。祈りというには長く、祈りでないというには短い。唇が動く。

「次の戦には行かせないでください。」

道祖神は答えない。夕べの風が吹く。

彼はまた歩く。村が見える。遥か向こうで誰かが飯を炊く煙が上る。生きた。今日は生きた。

次の季節にはまた戦だ。