#落魄 — 道に生きる人々
目次
士農工商 四つの身分の外にも 人がいる。世の柵(しがらみ)を持たぬ者たち。
時代注意: 本章に登場する吉原・踏み絵・穢多/非人制度・隠れキリシタンの一部は、戦国時代末期に芽吹き、のちに江戸時代に制度化・激化したものである。本文は「この時代にすでにその形の種が見えた」という意味で読まれたい。明確な時代区分は本文中に記す。
#落魄という言葉
落魄(らくはく) — 落ちる魄(たましい)。文字通り 「魂が落ちた者」。居場所を失い、さまよう者。
日本語では 「流浪(るろう)」 または 「非人(ひにん)」。非人は文字通り 「人にあらざる者」 — 苛烈な表現だが、この時代の社会が彼らをそう呼んでいた。
本章は彼らの 生きざま を見る。判断ではなく、まなざし として。
#浪人
#主君を失った侍
主君が滅びるか、主君に追われるか、自ら去った侍。彼には今や 禄がない。生計が ない。
しかし彼の 身分はいまだ侍。彼は刀を帯び、その言葉づかいは侍のものだ。ただ — 食うものがない。
#一日
彼は 道の上で眠る。門の脇で、軒の下で、運が良ければ宿場の物置で。彼は 湯を浴びられない。衣は擦り切れていく。髪は乱れていく。刀だけは — 磨く。毎日。
彼は 仕事を求める。別の大名への仕官。しかし競争相手は多い。大名たちは すでに自分の侍を多く抱えている。新たな浪人を受け入れる余地は少ない。
運が良ければ 護衛の仕事 を得る。商人が遠い道を行くとき雇われる。一度にいくらかの米をもらう。この米で数週間を凌ぐ。
運が悪ければ — 流れ者 だ。ついには刀を 売り払う。刀を売った浪人はもう浪人ではない。彼は 農民でも商人でもない何か になった。
#他流試合と武者修行
ある浪人は 武者修行(ぶしゃしゅぎょう) の道に出る。地方を巡り、各家・流派の武者に 他流試合(たりゅうじあい) を申し込む。勝てば — 名がつく。「この地の某を倒した者」。その名で仕事の声がかかる。(のちに江戸時代に発展する 「道場破り」 の光景は、その道場自体が戦国時代には稀であった。この時代の武者は主に 家伝(かでん)の型(かた) と 実戦 で腕を磨いた。)
負ければ — 命を落とすこともあり、より屈辱的に追い払われることも ある。彼は次の村へ去っていく。
「刀を握る者には二つの道がある。主君のある道、ない道。ない道は果てなく歩く道だ。」 — ある浪人の独白
#この時代の浪人の新たな仕事
霊界が開いてから、妖魔退治 が浪人の新たな仕事になった。村で妖魔が出て困れば、人々は 浪人を雇う。「あんた、あの妖魔を退治してくれれば米五俵やろう。」浪人は刀を提げて行く。
たいていは 勝つ — 妖魔が弱いとき。ときには 死ぬ — 妖魔が強いとき。彼が死んでも村の人々は 涙を流さない。彼の名を知らないから。
しかし時折 — 老婆が一人、彼の墓を立てる。名もなき墓。
#遊女
#侍の子を産むこともある者
遊女 — 身を売る女性。遊郭(ゆうかく) と呼ばれる区画で働く。京の六条(ろくじょう)はこの時代の設定にそのまま使えるが、江戸の吉原 は厳密には 1617年以降 の場所だ。したがって戦国時代の設定で 「吉原のような空間」 を表現するなら、江戸市中の公認遊郭の前身や 後の吉原の原型となる街 として処理するのが良い。
#誰がなるのか
多くは 貧しい家の娘。親が借金に追われ娘を 売らなければならなかった。親は涙を流しながら娘に言う — 「数年さえ耐えれば迎えに来る。」その約束はほとんど守られない。
別の場合 — 戦で捕られた女。敵領から略奪された女が 遊郭に売られる。彼女は 名を失う。遊郭で新たな名をもらう。古い名を覚えていても — 呼ばない。
#一日
昼は 眠り。遊女の仕事は夜だ。夕刻に身支度をする — 長い着物、複雑な髪飾り、白い化粧。この身支度自体が 芸術 だ。
夜は 客。侍のこともあれば、商人のこともある。彼女は酒を注ぎ、歌を歌い、和歌を詠み — そしてそれ以外のことも行う。これらすべてを彼女は 技術 として行う。感情とは切り離す。
客が特別な場合 — 彼女は 妾(めかけ) に上がることができる。ある侍が彼女を気に入り、遊郭から引き出して妾にする。これは 幸運 と見なされる。しかし妾は本妻ではない。彼女の子は嫡子ではない。複雑な生が待っている。
#この時代の遊女のもう一つの顔
霊界が開いてから、遊女の中に特別な者 が現れる。妖魔と縁を結んだ者。妖狐(ようこ)が遊女の体を借りるか、遊女が 宇迦之御魂(うかのみたま)(稲荷) の欠片を得るか。
ある遊郭は 稲荷神社の裏庭 にある。この遊郭の遊女たちは 狐の娘 と呼ばれる。彼女たちが施す祝福は — 金持ちの商人に一季の幸運をもたらす。代わりに彼女の 本当の名 を絶対に尋ねてはならない。
#賤民(賤民・ひにん・非人)
#世の最も低きところ
公式身分の 境界の外 にいる人々 — のちに江戸時代に 「穢多(えた)・非人(ひにん)」 という差別制度で厳しく隔離されることになる者たちだ。戦国時代には 制度的な隔離はさほど厳しくなかった が、実質的な差別 はすでに明確だった。直訳すれば「穢れが多い者」。彼らは 死に関わる仕事 をする。
- 死体処理 — 戦後に死体を運び埋める仕事。
- 獣の皮剥ぎ — 仏教の教えにより不浄な仕事とされ、一般の人はしない。
- 皮革・革の加工 — 上記の延長。
- 刑の執行者 — 罪人を斬首したり打擲する。
- 癩者(らいしゃ)の世話 — ハンセン病患者の介護。
彼らは 村の外に集まって 暮らす。外れの 部落(ぶらく)。一般の村人とは 婚姻できない。彼らの子は生まれたときから 穢多 だ。
#彼らの誇り
しかし — 彼らにも 生きることの綾 がある。彼らは互いに 共同体 を築く。歌があり、踊りがあり、自分たちの信仰がある。一般の神社には入れないが — 自分たちの神 を祀る。彼らの神はたいてい 地蔵菩薩(じぞうぼさつ) だ。地蔵は 地獄の底まで下りて衆生を救う 菩薩。最も低き者に最も近い神。
#戦と賤民
戦が起これば 賤民が最も忙しくなる。戦場の死体を片付ける仕事。死体から値打ちのあるものを拾い上げる仕事(戦場の掃除)。これは汚い仕事だが — 金になる。時に賤民は 侍の従者 よりも多くの金を蓄えることもある。
#この時代の賤民のもう一つの顔
霊界が開いてから、賤民の中に 霊的な感覚の強い者 が目につくようになった。死体を多く扱ううちに — 死者の声を聞く。怨霊(おんりょう)を見る。妖魔と話す。
一部はその才をもって 陰陽師(おんみょうじ)や巫女(みこ)に取り立てられる こともあった。しかし多くは — 黙る。語れば異端になる。語らなければ一人で背負う。選択肢はよくない。
#流浪芸人(放浪芸人)
#名もなき芸術家たち
琵琶法師(びわほうし) — 目の見えない僧が琵琶を背負って巡り、戦の物語(平家物語)を語る。 能(のう)の役者 — 仮面をつけて貴族の庭で舞う者。一部は旅芸人の一座として地方を巡る。 歌舞伎の前兆(ぜんちょう) — 出雲の阿国(いずものおくに)がこの時代の終わり頃、京で舞い始める。歌舞伎の始まり。 傀儡子(かいらいし・くぐつ) — 人形劇をする者。神社の祭りや市場で。
彼らは 道から道へ と渡る。固定した住まいがない。特定の領地に属さない。大名の管轄の外。そのため情報の媒介者となる。ある領地の噂を別の領地へ運ぶ。間者が 芸人の仮面をかぶって 巡ることも多い。
#神に近き者
彼らは公式の身分は低いが — 神社・寺院では特別な位置 にいる。神社の祭りは彼らの舞と音楽なしには成り立たない。彼らの歌は 神を呼ぶ。
だから村人たちは彼らを 畏れながらも招く。神の近き隣人。
#キリシタン(切支丹)
#新たに来た信仰
1549年 フランシスコ・ザビエル が日本に来てから、天主教の信仰が広まった。特に 九州 と 堺(さかい)。大名の中にも改宗者がいた — 大友宗麟(おおともそうりん)、大村純忠(おおむらすみただ)、高山右近(たかやまうこん)。
#歓迎と弾圧
最初は 歓迎 された。南蛮貿易の利があった。鉄砲、鉄、砂糖、新しい知識。豊臣秀吉でさえしばらくは黙認した。
しかし — 1587年、秀吉のバテレン追放令、1612〜1614年、江戸幕府の全面禁教。以降、キリシタンは 処刑 される。(のちに1629年頃から体系化される 踏み絵(ふみえ) — キリスト像・マリア像を踏んで通らなければキリシタンと見なして処刑する儀式 — は江戸時代の光景だ。)
戦国末期から江戸を通じて 多くのキリシタンが 隠れた。彼らが 隠れキリシタン(かくれキリシタン)。家の中に聖母像を隠し、観音像のように偽り、外では仏教徒のように振る舞う。幾世代にもわたって隠れ続けた。
#この時代の落魄の中に
キリシタンの一部は 逃亡者 になる。九州で発覚して 東へ逃げる。京や江戸で名を変えて暮らす。子どもたちに静かに カトリックの祈り を教える。「これを誰にも言うな。」
#一つの風景で締めくくる
ある冬の夜、山里の道。雪が降る。
一人の浪人が軒下に座っている。寒い。その傍らで琵琶法師が歌を歌う — 源平(げんぺい)の戦の歌。道の向こうから一人のキリシタンの母が子の手を引いて過ぎる。子は凍えた手で母の衣の端を握っている。
彼らは互いを 見ない。互いの存在を見て見ぬふりをする。この見て見ぬふりが — 彼らの 礼儀 だ。落魄(らくはく)同士は互いを問わない。問わないことが 慈悲 だ。
雪は降り続ける。彼らはそれぞれ自分の夜を耐える。