#妖魔とは何か
目次
妖魔は怪物ではない。妖魔は隣人だ — 少し奇妙な、しかしこの世界の中の。
#一つの言葉、幾重もの意味
妖魔 — 二文字。妖は「異様なもの」、魔は「魔性を持つもの」。合わせると — この世の秩序からわずかにはみ出した存在。
しかし日本語の原語では「妖怪」 と呼ぶほうがより一般的だ。妖と怪(怪、奇異なこと)の組み合わせ。韓国語に移す際に「妖魔」という訳語が多く使われる。本書はその伝統に従う。
重要なのは — 妖魔という言葉が実に多くのものを包み込むという事実だ。西洋の「モンスター(monster)」のように狭くはない。妖魔は:
- 山の鬼
- 森の天狗
- 川の河童
- 100年経った傘が歩き出せば、それも妖魔
- 死者が怨みを抱けば、それも妖魔
- 狐が人に化ければ、それも妖魔
これらすべてが一つの名でくくられる。西洋の分類ではモンスター・精霊・幽霊・神・悪霊をすべて包含する。この広大さが日本の妖魔観の特徴だ。
#妖魔と神の境界
「よく祀られる神がある。よく祀られない神がある。後者を妖魔とも呼ぶ。」 — 民俗学者の言葉
驚くべきことだが — 妖魔と神は同じものでもある。境界が曖昧だ。
#例
- 稲荷 — 穀物の神。神だ。しかしその使者である狐がいたずらをすれば妖魔と呼ばれる。「狐の妖魔(狐妖·キツネ)」。
- 八幡 — 戦の大神。神だ。しかしその名をむやみに呼べば罰を受ける。そのときの八幡は「罰する妖魔」のように働く。
- 菅原道真 — 怨霊であったのち神となった者。怨霊の状態のときは妖魔。神として祀られた後は神。同じ人格、異なる扱い。
この曖昧さが日本の霊的世界の核心だ。存在の本性が妖魔と神を分けるのではない。人々の扱いが分ける。祀れば神となり、祀らなければ妖魔となる。
#妖魔の起源 — 三つの根
妖魔は通常、次の三つのうちの一つから生まれる。
#一つ目 — 自然から生まれたもの
山の精霊、海の精霊、川の精霊。自然の人格化。彼らは最初からいた。人間が生まれるより前から。
- 鬼 — 山に住む存在。人間とは異なる種族。体が大きく、角があり、赤や青の肌。
- 天狗 — 深い森に住む存在。鳥の特徴と人の体。傲慢で智慧深い。
- 河童 — 川に住む存在。人の子のような体に水かき。頭上に皿の形をした水の器あり。その水が乾けば弱くなる。
- 山の老婆(山姥) — 深い山に住む女の形をした存在。道に迷った者を誘惑して食うとも、助けてやるとも言われる。
#二つ目 — 古いものが変じたもの
100年 — この数字が重要だ。100年経った事物には霊が宿るという民間信仰。これが付喪神。
- 100年経った傘が歩き出す(唐傘小僧)。
- 100年経った提灯が言葉を発する(提灯お化け)。
- 100年経った箒が庭を自ら掃く。
彼らは概ね害をなさない。いたずらをする程度。しかしきちんと扱われなければ — 害をなす妖魔へと変じることがある。
#三つ目 — 人から生まれたもの
最も多く、最も悲しい種類。感情の結晶。
この範疇の妖魔たちは一体では来ない。ときに群れをなして動く — 百鬼夜行、百の妖魔の夜の行列。夜、大きな路の上で数多の妖魔が列をなして過ぎゆく光景。この行列と出くわした人間は — 身を潜めて通り過ぎるのを待たねばならない。名を呼ばず、目を合わせず。うかつに絡めば、その行列に引き込まれる。
- 怨霊 — 怨みを抱いて死んだ者の霊。自分を殺した者あるいは一族を呪う。
- 生霊 — 生きている人間の強い執着が形となって現れたもの。恐ろしいのは — 本人も知らないことだ。自分の体がここにあるのに、自分の魂の一部が他人の寝室に立ってその人を見つめている。
- 餓鬼 — 餓死した者の霊。飢えから解き放たれず、死体を喰らう。
- 祟り神 — 正しく祀られなかった神が怨みに変じたもの。神と妖魔の境界が溶けた場所。
彼らの共通点 — 「人間が解けなかった感情」が本体。妖魔を退けることが難しい理由は — 刀で斬っても感情は残るからだ。感情を解かなければ本当の退治にはならない。
#妖魔と幽霊の違い
西洋で「ghost」と「monster」が異なるように、日本語でも幽霊と妖魔(妖怪)は少し異なる。
#幽霊
死者の霊。特定の人物。名前がある。特定の家族・特定の場所に現れる。たいてい足がない。白い衣。悲しい顔。怨みが解ければ消える。
#妖魔
幽霊より広い範疇。幽霊を含みつつ、自然の精霊・変化の体・器物神・原初の存在まですべてを包む。名前がないこともある。足があることもある。怨みがないこともある。
幽霊は妖魔の一部。ほとんどの幽霊は怨霊または餓鬼として分類される。しかしすべての妖魔が幽霊ではない。鬼は幽霊ではない。付喪神も幽霊ではない。
#妖魔と悪魔の違い
もう一つの混同。キリスト教の悪魔(Demon)と妖魔は異なる。
- 悪魔 — 善に反対する悪の存在。道徳的な堕落を誘う。人間を地獄へ引きずり込む。本性が悪。
- 妖魔 — 善悪の範疇の外。人間の倫理に従わないだけで、「悪」と断定しがたい。鬼が人を食らうとき、それは鬼の本性であり悪行ではない。空腹の狼が羊を食べるのと同じだ。
この違いが日本の霊的世界の色調を決める。妖魔は悪ではなく異なる。異なるものと共存する方法を探すのが人の役目だ。
#それでも妖魔は危険だ
妖魔が悪ではないとしても — 危険だ。鬼は人を食いうる。怨霊は生者を惑わして殺しうる。狐は人を騙して人生を狂わせうる。
妖魔との関係は交渉と境界だ。戦うこともでき、妥協することもでき、避けることもできる。ある妖魔は — 実は助けを与えることもある。山姥が道に迷った者に飯を用意してやることもあり、河童が病の子どもに薬草を届けてやることもある。
この複雑さが日本の妖魔観の奥深さだ。明確な敵ではなく、不確かな隣人。
#この時代の特殊性
霊界が開いてから — 妖魔の数が増えた。戦の血が怨霊を生み出す。飢えた者が餓鬼となる。捨てられた物が付喪神となる。この時代の日本は妖魔が最も多い時代。
だからこの時代の人々の妖魔への感覚は以前より研ぎ澄まされている。遠い祖先の話の中だけで聞いていたものを、今は隣家で起きたこととして聞く。
#一文で
妖魔は怪物ではない。この世界の中に共に生きる何か、ただ私たちの決まりに従わないだけの何か。隣人だが、見知らぬ隣人。