日本語版 v1.3.3 · fc-about

#この本について — 三道心鏡

目次

この本は刀を強くしない。代わりにその刀を取った手が なぜ震えるのか、または なぜ震えないのか を説明する。


#導入断片 — 答えより先に来た言葉

「この人はなぜ退かないのですか?」プレイヤーが尋ねた。シートには戦力も残っていたし、逃げる道もあった。だがNPCは扉の前で一歩も動かなかった。

GMはしばし数値を見なかった。代わりに卓の上に小さな物を四つ置いた。主君の命令書、死んだ子の位牌、ひびの入った茶碗、山道で拾った濡れた木の葉。

「この人は命令のために堪えるのですか?」別のプレイヤーが尋ねた。

「そうかもしれません。」GMが言った。「しかし位牌のために退けないのかもしれないし、茶碗を与えた師の言葉のためかもしれません。あるいは山から下りてきた道がまだ閉じていないと信じているからかもしれません。」

そのとき浄土僧PCが静かに言った。「では私が問いましょう。なぜまだそこに立っているのか、と。」

その問いが出ると戦闘場面はしばし止まった。答えは規則表になかった。しかしその答えが出た後、次の判定の意味は完全に変わるだろう。

#なぜこの本を書くのか

混世霊妖譚において宗教と思想は背景装飾ではない。

仏教の経文は妖魔を退け、陰陽道の符は結界を作り、神道の神域は区域を守る。だがそれより先に、思想はキャラクターが 自らの行動を解釈する言葉 になる。

  • 侍が主君の命令と民衆の命の間で揺れるとき、彼は儒教の言葉で揺れる。
  • 浄土僧が敵のために念仏するとき、彼は仏教の言葉で揺れる。
  • 浪人が刃の恐れを下ろそうとするとき、彼は禅宗の言葉で揺れる。
  • 修験者が自らの身を削って道を開くとき、彼は苦行と悟りの言葉で揺れる。

本巻はその言葉を提供する。


#この本は規則書ではない

本巻には新たな呪術がない。新たな流派もない。既存の職業の数値を変えず、新たな特技の選択肢を作りもしない。

この本の使い道は三つである。

  1. キャラクターの信念を鮮明にする。
  2. NPCの動機を素早く作る。
  3. 場面の言葉と沈黙をより深くする。

戦闘中の素早い判定には co を見よ。この本はセッション前の準備とセッション後の整理により向いている。


#読む順序

初めて読むなら次の順序を推奨する。

  1. fc06-01-01-era-map.md — 時代の流れ。
  2. fc06-02-01-confucianism.md, fc06-02-02-buddhism.md, fc06-02-03-zen.md, fc06-02-05-xian-and-gendo.md — 四つの流れ。
  3. fc06-04-01-three-ways-six-hearts.md — 三道六心の連結。
  4. 自分のPC職業に合わせて fc06-04-02-religious-classes.md を読む。

GMは fc06-04-03-gm-scene-tools.md を先に読んでもよい。


#歴史とゲームの距離

この本は歴史的事実を尊重するが、歴史書ではない。混世霊妖譚は妖魔が実在し霊界が開いた世界である。したがって実際の歴史では隠喩であった言葉が、この世界では時に 作動する事実 になる。

たとえば実際の歴史で「経文が悪鬼を退ける」という信仰は信仰と儀礼の問題である。混世霊妖譚ではその信仰が実際の戦場と区域に影響を与えうる。逆に実際の歴史で儒教は呪術ではないが、混世霊妖譚でも儒教は呪術ではない。儒教は力を放つ技術ではなく、秩序を作り命令を正当化する言葉である。

この違いを守れば世界が鮮明になる。


#本巻の核心原則

原則意味
思想は武器ではなく理由であるこの本は攻撃手段を増やさない。行動の理由を作る。
宗教は単一ではない一人の人物が儒教的忠、仏教的慈悲、禅宗的無心を同時に持ちうる。
禅(禪)は仏教の中にある禅宗は独立した第4信仰ではなく仏教の修行の流れである。
仙は玄道の側にある神仙・道教・山岳隠遁・自然霊性は禅宗ではなく玄道解釈の核心層である。
三道六心と1:1で対応しない儒教は礼道に強く接するが、儒教的仁は空道とも出会う。
現実と混世霊妖譚を区分する実際の歴史の制度とゲーム世界の妖魔実在性を混ぜつつ、同じものにはしない。

#この本が有用な瞬間

  • PCが主君の命令に従うべきか拒否すべきか悩むとき。
  • 僧PCが妖魔を殺すことと救済することの間で揺れるとき。
  • 浪人や剣客が「無心」を言葉だけでなく場面で見せねばならないとき。
  • 大名、僧、学者、寺社勢力、村の村老NPCの口調が必要なとき。
  • 三道六心の転換を数字ではなく叙事の場面で作りたいとき。

#書き手の一言

儒教は命令の言葉である。仏教は苦痛の言葉である。禅宗は沈黙の言葉である。神仙思想は流れの言葉である。

混世霊妖譚の良い場面はこの四つが衝突するときによく生まれる。命令に従わねばならないのに苦痛が見え、苦痛を救わねばならないのに刃が揺れ、刃が揺れる瞬間に何の言葉も出ず、山と星の流れは人間の決定を待ってくれない。

その沈黙が必要なとき、この本を開け。


思想は本棚に残るときよりも、揺れる選択の中でより長く生きる。