日本語版 v1.3.3 · fc-reading

#足軽 — 昼は畑、夜は槍

目次

Ashigaru who farms by day and carries a spear by night, complete upper body from head to waist, straw hat, simple spear, tired practical eyes.

彼の名は記録されない。彼の顔も。


#足軽という名

足軽(あしがる) — 漢字をそのまま読めば「足が軽い者」。鎧が軽いか馬がいないか — いずれにせよ素早く動く歩兵。中央の正規の武士ではなく、必要なときに呼んで使う兵士

戦国時代の軍勢を構成する70〜80%が足軽だ。侍は目立つが数は少ない。戦死者のほとんどは足軽であり、突撃のほとんどを担うのも足軽だ。


#彼は誰だったのか

たいていの場合、彼は農民だった。

ある農民がある日、村の代表者に呼ばれる。「今度の戦に、我が村から五人を出さなければならない。」五人のうち彼が選ばれた。選ばれる基準は明確ではない。体の丈夫な若者が第一、次いで家の事情が少ない者。長男はたいてい除かれる(家の跡を継がねばならないから)。

選ばれた彼は数日後、召集場所に出向く。短い訓練 — 槍の持ち方、列の整え方、主君の呼び方 — を数週間受ける。その後、戦場へ。


#武装

足軽の武装は簡素だ。

  • 槍(やり) — 最もよく使われる武器。足軽の長柄槍(ながえやり)3〜6メートル — 織田信長の部隊は特に長く、五間(約9メートル)のものもあったと言われる。一人では扱いにくい。大勢が森のように並んで初めて陣形になる。
  • 陣笠(じんがさ) — 鉄で作った広い笠。矢を防ぐ。
  • 胴丸(どうまる) — 胴体だけを包む軽い鎧。侍の大鎧(おおよろい)に比べれば粗末なものだ。
  • — あれば好都合だが、持たない者も多い。主に侍のものを拾って使う。

足軽のなかには鉄砲(てっぽう)を与えられる者もいる。1543年以降、種子島に伝来した火縄銃。これを持つ者は鉄砲足軽(てっぽうあしがる)と呼ばれ、訓練をより多く受け、禄もわずか多くもらう。その代わり、戦場では最初に死ぬ — 敵側の侍が特に狙うからだ。


#昼は畑、夜は槍

足軽の生は二重に分かれる。

#農繁期(のうはんき)— 春・夏・秋

彼は農民だ。苗を植え、草を取り、収穫する。妻は機を織り、子は畑で雀を追う。この時期に戦が起きれば — 大名が困る。農民たちが戦場へ呼び出されれば、畑が荒れる。翌年の食糧が尽きる。そのため大名は大規模な戦をできれば農閑期に先延ばしにしようとした。しかし実際の戦の時期は地域の事情と兵站、攻城戦の有無によって変わり、収穫期の出兵も珍しくはなかった。

#農閑期(のうかんき)— 冬

彼は兵士だ。召集される。数か月にわたって戦場へ出る。生きて戻れば再び農民。

この二重生活が彼の一生だ。九度召集されて九度生きて帰った者もいれば、最初の召集で死んだ者もいる。運だ。


#戦場にて

#彼が死ぬ方法

足軽の死は名誉あるものではない

  • 矢の雨に打たれて — 数百本の矢のうちの一本。誰が射たかはわからない。
  • 槍に刺されて — 敵足軽の槍。互いに槍を交えるうちに、一方が先に倒れる。
  • 騎馬に踏まれて — 敵侍の馬が通り過ぎた場所に彼がいた。
  • 鉄砲の弾に当たって — 遠くから飛んできた鉛弾。鉄笠を貫く。
  • 負傷後に感染して — 数日を病み、ちょっとした傷が化膿して死ぬ。

侍には「首を取った」という記録が残る。足軽には数だけ残る。戦後の記録には「死者123名」。そのうちの一人が彼だ。

#彼が生きて帰る方法

運が良ければ彼は生きて帰る。肩に傷、足に傷、しかし生きている。

彼は家に帰って数か月を病んで過ごす。妻が看病する。雪の降らない夜に彼は悪夢を見る — 戦場で目にしたもの。友が死んだ場所。敵足軽の一人が自分の槍に刺されて倒れながら浮かべた表情。その表情が何年も追いかけてくる。

春が来ると彼は再び畑へ出る。気力は完全には戻っていない。だが飯は稼がなければならない。隣人が言う — 「戻ってきてよかった。」彼は笑う。笑いの裏に戦場で目にしたものがある。


#略奪と誘惑

足軽の過ちはしばしば略奪から来る。

戦に召集された貧しい農民にとって — 敵の領地の村は誘惑だ。疲れた仲間たちが一軒の家を漁る。米を探す。ときにはまで捕らえる。この人取り(ひととり) — 敵の領地の民間人を拉致して奴隷として売るか人質にすること — は、この時代の戦場では公然のことだった。これを見た彼は止めようとするが — 疲れた仲間たちは指揮官のいない時間に豹変する。

彼が止められなければ — 彼もまた略奪者だ。道徳的には罪人。法的には「戦時の足軽の日常的行為」。この境界は曖昧だ。

彼が止めようとして仲間と争えば — 彼は翌日の戦場で後ろから刺される。仲間の槍に。

この時代の足軽の倫理は清くない。清くあれない条件なのだ。


#そして妖魔

霊界が開いてから、足軽の戦場には妖魔もいる。

侍は退魔の技法を身につけることも、神器を授かることもできる。足軽にはそういったものがない。彼はお守り一枚に頼る。村の巫女が安物のお守りを彼の陣笠の内側に貼り付けてくれた。彼はそのお守りを毎日一度だけ触れる。

お守りは安物だ。弱い不浄くらいは防げても、強い妖魔の前では力が及ばないことが多い。そんな敵が現れれば — 侍か退魔に長けた者が出なければならない。足軽は後ろに退いてその光景を眺める。自分の指揮官が妖魔の前に立つのを見る。

侍が負ければ — 足軽は逃げる。逃げることは恥ではない。足軽に栄光など元よりない。生きて帰ることが善(ぜん)だ。


#上がっていく者

しかし — 戦国は下剋上の時代だ。足軽のなかにも上がっていく者がいる。

最も有名な例が豊臣秀吉。尾張の農民の家に生まれ、織田信長の雑役として出発し、足軽を経て天下人の座に就いた。これが彼の一生の伝説。もちろん彼は例外だった。足軽のほとんどは足軽のまま生きて死ぬ。しかしこの例外が可能だったという事実が — この時代の空気を変えた。自分もひょっとしたらという思いがどこか遠い隅にある者、それこそが戦国時代の足軽だ。

一方、一揆(いっき)という別の道もあった。国一揆(くにいっき)一向一揆(いっこういっき) — 農民・僧侶・下級武士が連合して領主に対抗する武力蜂起。加賀(かが)の一向宗は百年間、領主を追い出して「百姓が治める国」を維持した。織田信長がこれを壊滅させた1576〜1580年の石山戦争は — 一つの別の道の終わりだった。


#名もなき者の墓

戦場で死んだ足軽の亡骸はまとめて葬られる。一つの大きな穴に複数名。

村では位牌を立てる。名前がなければ「我が村の息子」と書く。誰が帰ってこなかったかは数か月が経ってからようやく確かになる。他の村の者たちと一緒に帰ってこなかったからだ。母は「もしかして」と冬を待つ。冬が来て、春が来て、夏が来ても息子は帰ってこない。

それでようやく母は位牌を立てる。名を刻む — 息子の名を。その名は足軽の名簿にはない。大名の記録にもない。ただ村の小さな神社にだけ刻まれる。


#ひと言で

侍は毎日刀を磨く。足軽は毎日畑を耕す。戦が来れば二人とも槍を手にする。記録されるのはただ一方だけだ。